2015.10.20 ここは本町通り。
その中でも一際古い店舗、本町二丁目の島野理容所です。
見た感じでは昭和30年代初期かと思われますが、戦前から営業していました。
その時の屋号は「島野床屋」となっていたようです。
カーテンが閉まっているので中の様子が判りません。
この2015年10月撮影時点で、既に閉店されていたかもしれません。
これより少し前の時には普通に営業していました。
店舗南側。店舗から母屋に繋がる通路。
ここでガラリと世界観が変わります。
エアコンの室外機が無ければ昭和30年どころか、
戦前と言っても信じてしまいます。
店舗奥の母屋が、まさしく戦前と思える建築です。
洗濯物が干されていますのでまだ在住されています。
ここを最初に通ったとき、店舗だけ見て
「あー、古いなぁ…昭和30年代くらいかな」と油断していました。
古典建築はこういう見えない処に隠れています。
大抵は目立つ蔵の建物にしか目が行かないものです。
理容店の姿。撮影用のセットではありません、正真正銘の本物です。
しかしこれだけ貴重な存在であったにも関わらず、2016年に解体されています。
解体後に、筆者の知っている地元の不動産屋さんが管理していることを知りました。
昭和40年代以降はこういう雰囲気の理容店も少なくなり、
もしかすると此処が最後のレトロ理容店だったのかもしれません。
在りし日の、二度と見ることは出来ない風景です。
変わって理容店北側を見ます。店舗正面から更に遡る風景が現れます。
一見して「これぞ戦前」の姿。
長く伸びる瓦屋根が江戸時代からの伝統スタイルを感じます。
店舗左からでは判らなかった奥行きもほぼ見通せます。
繋がっているトタンの列のトイレ窓だけでも、明らかに時代相応を確信できます。
理容店北側のエリア。
こちらはさほど古くありませんが1970年代風です。
いま気づきましたが、こちらには美容室があります。
島野理容所の左隣の戦前建築です(現存)。
現在は屋号が掛かっていませんが、1991年の資料には
「サンコピノ埼玉店 日本映像(株)」とあります。
昭和54年の資料では「タックビデオ」とあり、昭和50年代及び
1990年代は映像関連の会社が入っていたようです。
さて、こちらも虎の巻である歴史本を開いて調べます。
戦前戦中の屋号は「鋳物商 十文字屋」となっています。
元の家主が離れて別の会社などが入るパターンも多いです。
市内でも屈指の古典建築が並ぶ旧407街道沿い本町通り。
熊谷方面、島野理容所があったすぐ先には今も蔵の建物がならんでいます。
この辺りが最も多くの戦前建築が見られる名所です。
それらは100年を越えるものが多く、ほとんどは各所で紹介されており有名です。
川越には及びませんが、市内で歴史を誇れる最後の砦と言って過言ではありません。
持ち主様、どうか大切になさってください。
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