いつもの悪い癖ではありますが…気になると、それをピンポイントで徹底的に
調べたくなり、先にやらなければならないメインの案件があっても、
そちらをさておき、その気になった一つの事だけに集中しまいます。
今回はどうしても前々から気になっていた物件を、それを独自に復元すべく、
今日の時間の大半を費やしました。
その物件とは…?
こちらでございます。これを、今日10時間ほど掛けて作りました。
こんなCG擬きを、いきなり見せられても何のことやらさっぱりかと思います。
この作画は、高坂駅入口交差点、そばのいねのやの真隣、セブンイレブンの正面、
現在は駐車場になっている場所に間違いなく並んで建っていた、
2棟の鉄筋コンクリート製のビル、それを出来る限り忠実に復元したものです。
この建物の存在については過去に何度も触れてはいます。
その中で、ビルの階数を4階建てと記述しましたがこれは間違いで、
実際には3階建てでした。訂正いたします。
この駐車場に、ソレは間違いなく存在していた!
こんな交差点の中心にある大きな建物が2つ、見ていないわけはないはずなのに、
何故か全く記憶にありません。当方も建っていた頃は忙殺され、写真を撮ることなど、
全く考えていませんでした。そして気づいたときには既にその姿は忽然と消えています。
よって「幻、伝説」となっている案件です。
能書きはさておき、まず図面で確認します。
おなじみ高坂周辺の自作地図。
ここでは、オレンジ印のビルをA、後に出来た黄色のビルをBとします。
まずオレンジ色に記してあるA、これが以前から度々話に出していた
「細村建設」です。これがおそらく一番最初に入っていた会社です。
このあと、次々入居者に変遷があります。テナントビルになったようです。
さらに新たな発見も追加されましたので、判っている社名を、推定時系列で
列記したいと思います。また後から出来たBビルもテナントになっており、
入居者が複数変わっています。
Aビル 1971~1973年頃 北側に3階建てビル完成 地主は細村建設
Aビル 1977年頃 菊地不動産
Bビル 1977年頃 南側に3階建ての鉄筋建築完成
Bビル 1979年 関東学習塾 高坂教室
Aビル 1979年 細村建設
Aビル 1980年代中盤?~1997年?頃まで アルファアカデミー
Bビル 1980年代頃から 細村宅(細村建設の社長?)
Aビル 1998年 大東文化大学 剣道部合宿所
Bビル 1998年 空きビル
Aビル 2001年 空きビル
Bビル 2001年 さくら工業
Bビル 2009年頃 区画整理解体
Aビル 2010年頃 区画整理解体
A、B区画整理後2011年頃~ 月極細村建設駐車場へ。
現時点で判明しているのはこれだけ。
数年の空白の間に別の入居が有ったかは不明。
1998年の「大東文化大学 剣道部合宿所」になっていたのは
意外です。
このテキストから導きだされること、Bビルを含めこの一帯は
細村建設の管轄であったと推測されます。
調べてみたところ、細村建設と菊地不動産は双方とも移転されて
存続しています。
さて、国土地理院の写真です。
1970年(昭和45年)
まだこの時点ではビルは建っていません。
汎用的な年代、1974年。
鉄筋3階建てのビルが既に建っています。
建設は、とりあえず1972年頃と仮定します。
Bビルはまだありません。
1978年 もうひとつの3階建てBビルの完成。
2009年の高坂駅付近。
Bビルは既に解体されています。
2009.04.24
細村建設ビルが辛うじて確認できる唯一の自前写真。
2014.08.01 ビルの建っていた位置を記入。
いねのや側から敷地を見る。
2014.08.01
「インテリア ポルシェ」及び「手打ちうどん むぎぶえ」の跡地。
2014.08.01 出光興産高坂給油所(建物を削られた後の姿)
2014.11.13 道路拡幅工事。高坂給油所前。
交差点、貴重な2009年の様子。
2009.04.24
松山フォトサービスの看板を確認。50年以上経過していたようです。
[記事管理ナンバー 211003-8000-2140 / 211017-0450]
調べたくなり、先にやらなければならないメインの案件があっても、
そちらをさておき、その気になった一つの事だけに集中しまいます。
今回はどうしても前々から気になっていた物件を、それを独自に復元すべく、
今日の時間の大半を費やしました。
その物件とは…?
こちらでございます。これを、今日10時間ほど掛けて作りました。
こんなCG擬きを、いきなり見せられても何のことやらさっぱりかと思います。
この作画は、高坂駅入口交差点、そばのいねのやの真隣、セブンイレブンの正面、
現在は駐車場になっている場所に間違いなく並んで建っていた、
2棟の鉄筋コンクリート製のビル、それを出来る限り忠実に復元したものです。
この建物の存在については過去に何度も触れてはいます。
その中で、ビルの階数を4階建てと記述しましたがこれは間違いで、
実際には3階建てでした。訂正いたします。
この駐車場に、ソレは間違いなく存在していた!
こんな交差点の中心にある大きな建物が2つ、見ていないわけはないはずなのに、
何故か全く記憶にありません。当方も建っていた頃は忙殺され、写真を撮ることなど、
全く考えていませんでした。そして気づいたときには既にその姿は忽然と消えています。
よって「幻、伝説」となっている案件です。
能書きはさておき、まず図面で確認します。
おなじみ高坂周辺の自作地図。
ここでは、オレンジ印のビルをA、後に出来た黄色のビルをBとします。
まずオレンジ色に記してあるA、これが以前から度々話に出していた
「細村建設」です。これがおそらく一番最初に入っていた会社です。
このあと、次々入居者に変遷があります。テナントビルになったようです。
さらに新たな発見も追加されましたので、判っている社名を、推定時系列で
列記したいと思います。また後から出来たBビルもテナントになっており、
入居者が複数変わっています。
Aビル 1971~1973年頃 北側に3階建てビル完成 地主は細村建設
Aビル 1977年頃 菊地不動産
Bビル 1977年頃 南側に3階建ての鉄筋建築完成
Bビル 1979年 関東学習塾 高坂教室
Aビル 1979年 細村建設
Aビル 1980年代中盤?~1997年?頃まで アルファアカデミー
Bビル 1980年代頃から 細村宅(細村建設の社長?)
Aビル 1998年 大東文化大学 剣道部合宿所
Bビル 1998年 空きビル
Aビル 2001年 空きビル
Bビル 2001年 さくら工業
Bビル 2009年頃 区画整理解体
Aビル 2010年頃 区画整理解体
A、B区画整理後2011年頃~ 月極細村建設駐車場へ。
現時点で判明しているのはこれだけ。
数年の空白の間に別の入居が有ったかは不明。
1998年の「大東文化大学 剣道部合宿所」になっていたのは
意外です。
このテキストから導きだされること、Bビルを含めこの一帯は
細村建設の管轄であったと推測されます。
調べてみたところ、細村建設と菊地不動産は双方とも移転されて
存続しています。
さて、国土地理院の写真です。
1970年(昭和45年)
まだこの時点ではビルは建っていません。
汎用的な年代、1974年。
鉄筋3階建てのビルが既に建っています。
建設は、とりあえず1972年頃と仮定します。
Bビルはまだありません。
1978年 もうひとつの3階建てBビルの完成。
2009年の高坂駅付近。
Bビルは既に解体されています。
2009.04.24
細村建設ビルが辛うじて確認できる唯一の自前写真。
2014.08.01 ビルの建っていた位置を記入。
いねのや側から敷地を見る。
2014.08.01
「インテリア ポルシェ」及び「手打ちうどん むぎぶえ」の跡地。
2014.08.01 出光興産高坂給油所(建物を削られた後の姿)
2014.11.13 道路拡幅工事。高坂給油所前。
交差点、貴重な2009年の様子。
2009.04.24
松山フォトサービスの看板を確認。50年以上経過していたようです。
[記事管理ナンバー 211003-8000-2140 / 211017-0450]
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