初めに。
今回の記事は特に長いです。
知らない所の知らない建物の話や個人的愚痴を見たくない方注意!





訳あって、路線変更(暫定)です。当街の記事は少しお休みします。
先日も、せっかく資料が手に入ると思っていたのに実現しませんでした。
(実はこれがかなりの原因です…)


あまりにイライラして、つい配信されて間もない東映特撮オフィシャルの
「ナショナルキッド」(昭和35年)を何回も観ています。(??)
人造人間キカイダーも始まりましたし…ってまた関係ない話に逸れます。


イライラしている頭を冷やし、別のアプローチをしてみたいと思います。
いつもの記事も、熱心に読んでくださる方は僅かながら居られますが、
あまりローカルな内容のため、その他の地域の方々にはほぼ興味を
持ってもらえていません。

せっかく今まで市内以外の地も撮ってきていたのだから、何処と限らず、
懐かしの風景や建物の魅力、それに付随する歴史や築年代の考察、そして
筆者自身が体現した聖地などの回顧録を交えて、しばらく書いていこう
と思います。




今回は、親族の地における古物件の理想的な姿を紹介していきます。
詳細な場所は伏せておきますが、年代研究や回顧録はいつもの調子で
やってみたいと思います。

回顧録などは取るに足らない個人的戯言なので、飛ばして結構です。

撮影年月日は2017年4月15日と2020年12月22日の2回の物から構成します。




2017.04.15
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2020.01.22
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知っての通り歴史ある川越街道沿いには、古来よりの先住民が今も多く住まわれています。
今回紹介する建物もそういった中に在る歴史的建築物です。
たとえ文化遺産でなくとも、貴重なものであります。


こちらの古民家は、川越街道の首都圏からの流れの終わり、
つまり新座から川越へと続く街道本筋への導入部、その南岸にある戦前建築。
明治期にはすでにここに在り、通る度にその存在感に圧倒されます。




以下、川越街道へと続きます。
2020.12.22
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工務店の古民家。推定昭和31年築。(こちらは本年解体されたようです)
明治期にも同位置に家屋あり。





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推定昭和28年築。
元々は古民家として存在していましたが、のちに鉄工所が出来て工場と繋がっています。





2017.04.15
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明治期より存在。
古くからの立派な屋敷をしっかりと維持しています。
川越街道は、有無を言わさずの歴史ある風景がいくつも続きます。





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昭和初期築。明治期に同型あり。




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推定昭和10年代築。
明治期にも、この場所には建物は在り。








ここからの一連は、筆者の親族のいる地域になります。
2017.04.15
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昭和36年より、農地の一帯が宅地化された大型区画。
昭和37年に第1弾のエリアが完成し、わが親族も完成当時から住んでいました。
ほとんどの家が建て直されてしまい、かつての面影はほとんどありませんが、
その中でも、当時の建物を大事にされている貴重な物件が一つまだ健在でした。




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昭和37年完成には見えない程に修繕され、現役です。
車のところもつい近年までトタン補強も無しの木造のままの姿で存在していましたが、
やはり全く新しく建て変わってしまいました。残念です。




2020.12.22
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先の二軒の新築は、つい近年建て直されたもの。
それまではこの平屋と同等の二軒でした。画面右は写っていませんが、
この向かいの家も木を白塗りにしてアメリカン風にし大事に住んでいましたが、
今回来てみたら残念ながら建て変わってしまいました。

ここに来た理由は親戚の事もありますが、Googleの画面でそれを確認していて、
幼少期から見ていた、その洒落た古民家を撮るためでした。すごく残念です。

建て直すのは老朽化もありますが、土地も広くはなく庭と言えるスペースも取れませんので、
建て直す際には各々が好きな形で、カーポートを備えたり、三階建てにして広く住みやすく
しているようです。

やはり住まいですからノスタルジーだけではいかないのが世の常てす。




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この時代はまだカースペースなどの余裕はありません。車は近所の駐車場を借ります。
それが当たり前で、いまでも狭い敷地の家では車は置けません。筆者の昔も共同住宅で
自前のカースペースなど夢のまた夢。月極めを払うのがキツかったです。

それを思うと、北埼玉に住んでいるとはいえ、今は余裕のある生活だと実感しています。
もっとも都心に用事はほぼもう無くなりましたのでこれで良いんです。

まわりが大きく建て直す中にあって、この家のように直しながら大切に住まわれている方も
この地区で僅かながら居られます。物を大切にする気持ちや人柄を感じます。

その好例を二軒、紹介していきます。




ここまでやって「渡辺篤史の建もの探訪」や「ポツンと一軒家」的要素が強くなってます。
ご多分に漏れずそれらはもちろん、家関連が登場する番組はほぼ見ています。





2017.04.15
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これぞ筆者理想的な姿。
古民家と鉄骨あるいは鉄筋住宅との合体!

普段から筆者が拘る近代的な「屋上付きバルコニーハウス」と、レトロ物件の融合。
古きものと新しきものとの共存!これ以上のコンビネーションはありません。






2020.12.22
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電柱が邪魔ですが、遠くからでもその魅力は隠しきれません。一線を画しております。
まるで秘密基地が谷間から現れたような風格です。




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普通なら素っ気なく壊して丸ごと新しくしてしまう事が多いですが、
あえて1階建ての平屋をしっかりと残して、そこから上手く繋がるように
2階建ての新型が配置される。メリハリがついて尚且つデザイン性を損なわない。

このワクワク感はなかなか真似できません。




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1964年当初は、このバルコニーハウスの位置には別の平屋らしき小型建築が見えますが、
2000年代中頃(推定)、この建物に変わっています。

バルコニーから外階段を上がって屋上という解放された空間へと導く構成。




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木造平屋 推定1963年築
素晴らしいコンディション。一部トタンに覆われているものの、完成当時の雰囲気を
しっかりと残して存在しています。




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下町的情緒を備え、周りと調和します。




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新しいからこそむしろ年代が掴めません。国土地理院からの画面で四角い形は
2007年には分かるように見えますが、それ以前のものは画質が悪く判りません。
80年代にはもう建っていたかもしれませんが、なんとも言えません。

外階段は錆びる心配がありますが、階段スペースを外部に設けることで、
屋内の面積の無駄が省けます。これだけで絵になるというのも素晴らしい。

男一代、一度は屋上のある一軒家に住みたいものです。








続いて、こちらも貴重な存在です。
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現役のレトロ歯科。
やはりその姿に圧倒されます。推定昭和37年の母屋と、推定昭和39年の歯科建物。





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歯科医院本体西側。
治療室の出窓の雰囲気がまさに、古き良き時代を代表しているようです。
レトロ歯科と言えば、もう我が街では「歯科島田医院」が燦然と輝いています。

そこまで古くないにせよ、昭和の良き風景を凝縮した存在を保つ…これこそ根幹です。




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2階建ての古典建築。昭和39年前期の画面にはまだこの姿を見られませんが、
少なくとも昭和39年後期から昭和40年までには完成されているはずです。

これに先立つこと二年前、昭和37年に南側の1階建て平屋が完成。





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どこを取っても見事としか言えません。
横張りの板に白い塗装、窓の姿、玄関…全ての部位が存在感を主張します。






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良いものほど、多くの言葉など無用。もうその姿にどっぷりと浸かります。

どの角度から、どのように見ても、一寸の隙もありません。
着実に歴史を刻むかの如く、その存在の意義は明確です。


そして、この次3年後に訪れた時の様子で、明確なポリシーを伺う事ができます。





2020.01.22
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再訪問です。
築年数が僅か2~3年の差で、建物の造りの違いがよく出ています。
当時の1年は今の7年くらいなのでは?とも思っています。




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母屋から伸びる「出っ歯」健在。奥に見える扉辺りの姿が、もうぞくぞくします。
明らかにこちらの方が古いぞ、というオーラが如実に出ています。




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治療室、出窓全門開口!
手塚治虫作品に出てきそうな雰囲気があります。

この建物の面白いところの一つとして、南側の1階と2階が別次元、別時代の空間を
醸し出していることです。

簡単な話、2階の窓姿が1970年代なので、そのアンバランスさが1階のレトロと対比
されているのです。時空の歪みのような感じです。



それにしても何か前回の時と違う!
看板がなくなってる!これはいったい…





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歯科の玄関を見ます。塗料の1斗缶がいくつも出ており、工事を行っている最中です。





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なんと、専門の業者によるお色直しの真っ只中です。
看板が外されていたのを焦って「まさか閉院!?」と早とちりも致し方ありません。
しかし大掛かりな塗装をするために看板を外し、作業が進められています。





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前回に見たときは、確かに白い塗装が所々剥げていました。
しかし北側はもう直っているようです。剥げが一切ありません。素晴らしい。

剥げや剥がれも古い建物の味で…と思っていましたが、実際はそんな見かけの事ではなく

剥がれたら、直す!

定期的にお色直しをしているようです。如何に大切にされているかがよく分かりました。
またそのような様子の時に見られた事も大変有り難く思います。






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またひとつ、歴史が守られた。

このような尽力によって、歴史は保たれていくのだなぁと深く感銘を受けたのです。
この日の清々しさときたら、格別なものがありました。

どうかいつまでも、大切になさってください。







さて、ここからは個人的回顧録です。しかし他人から見ても読めるように心がけます。
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前述のポツンと平屋の先に見えた新築が建つ前、親族S宅(その1)跡地。

昭和37年、平屋木造型がこの辺一帯に完成し、親族はここに住んでいました。
のちの昭和52年に建て直し2階建てに。2016年まで在りましたが、叔父さんが
亡くなって、更地となってしまいました。

右は同じ親族(じーちゃんが居た世帯)の家ですが、訳あってボカシにしております…





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黄色、青、緑の順に揃ってきた3世帯の親族。
これは合わせているのではなく、なんと偶然の成り行きにより同じ区画に揃ってきました。

まず、叔父さん世帯が昭和37年に黄色の物件を購入。分譲が開始されてすぐです。

次に、本家のじいちゃん世帯が昭和46年、都内の社宅から引っ越すため物件を探していて、
埼玉県内の中古物件を選択。それが昭和39年築の青の物件。叔父さんが居るその市内という
事は分かっていたとしても、まさか隣だったのは現地を見るまで知らなかったとのこと。

かくして昭和47年に、たまたま空きがあった築8年経過の2階建てを購入する事となります。
長く住んでいて隣が引っ越して空いたので隣を買い取った、というよくある話ではありません。
当時の住宅事情から考えても、合わせようと意識してもそう上手く物件はありません。

さらに昭和53年、同じ親族の別世帯夫婦のI家が、同市内公営住宅からの引っ越しで、
「たまたま」空きがあったのが緑の物件。こちらはまあ、せっかく空いた物件があるのだから
ここにしようという感じで決めたのかとは思います。

とくに合わせるつもりでなかったのに、3世帯が同区画に集合!しかしなぜ此処なのか?
偶然というのは、ある意味神がかりなものであります。

いずれも購入物件であります。親戚縁者で自分の家を持てなかったのは筆者の家庭だけでした。
ウチも公務員で稼ぎもあったはず、勤め先からも何度か引き合いがあったのに、
「入間なんて遠い」「都心から遠いところは嫌だ」「金がかかりすぎる」等々文句ばかり
言って渋り、自分の贅沢のために金を注ぎ込んで家族を大事にしなかった父親…
嗚呼これ以上はもう…よくある話ですね。

筆者自身は賃貸で良いんです。住むところに満足がいけば。
若い頃、子供の頃に成し得なかったのに今さらもういいです、人間いづれ死にます
墓場には持って行けませんもん。

今は風景としての家を楽しむ次元にいますから。古民家大好き!古いもの最高!






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敷地全景。狭いかなと思っていましたが、それなりの広さがあります。
すでにまわりの家も昭和37年の古いものはありません。おそらく先ほどの一軒だけです。

電柱は前はありませんでしたが、なぜこんな所に立てているのでしょうか…




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叔父さんの家がまだあった頃。

自前の写真はフイルムの時代に撮っていたとは思いますが、見つかりませんので、
Googleからのものです。1962年型を解体し、1977年(昭和52年)建て替え完成。

ストリートビューの何時だかのものに、まだ存命の叔父さんが写っていたこともあります…

新築が完成した当時に伺い、いとこの子に「徳間書店のテレビランド」を
おみやげに買っていきました。とても喜んでいて、うれしかったのを覚えています。

特集が東映の「快傑ズバット」の放送前のイラスト記事だったのはよく覚えています。
これの放送開始は2月ですので、ここに来たのは昭和52年のお正月の時ということです。




あ…昭和52年完成じゃなくて、正月にもうあるんだから完成は前年じゃないの!昭和51年。




こういう事をきっかけに思い出すことが多いので、
アニメや特撮の歴史と結びつけるのは大変よい記憶方法です。

いとこは当然もう50代半ば、営業の仕事を元気にやっているようです。




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同ストリートビュー。2016年頃でしょうか。
2階建ての先にまだ木造が写っています。二軒先が先ほどの残存古民家です。
板張りはまさに1962年当時のままの姿で、一帯はほぼこれと同じ平屋が建っていました。

もっとも別に珍しくも何ともなく、この時代なら何処の場所でも高度成長に乗って
次々と宅地化していき、このような木造平屋建てがひしめいていきました。

今は…何なんでしょうか?
少子化でこれからどんどん日本人は減っていくはずなのに、日照権を奪いまくる
タワーマンションの乱立!戸建ても新しく小さいのが雨後の竹の子のように作られています。





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親族S宅跡地の西奥に建っている平屋は「T様宅」。
こちらよりも少し後の昭和38年築(推定)で、現存しています。
こちらの方との付き合いは、当方自身はありません。




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奥まった建て位置で、ご覧の通り再建築不可。
造成当時からそういう作りにしていましたが、一軒でも多く建てたいという当時の事情が
伺えます。子供の頃、ここに関しては「建て直しできないからどうするのかなぁ」という
話を皆でしていました。




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玄関。推定昭和38年。
そう言われればそれ相当の年代であるのは感じますが、中途半端なイメージです。
旧来の板張りではなくモルタル造りなのも要因です。窓にシャッターが付けられているので
これも古さを感じなさせないのは確かです。

古民家で残念に思うのは、扉や窓がサッシなどに変えられてレトロなイメージが
無くなってしまうことですが、立て付けが悪くなって生活に支障が出るのならば
取り替えるのは仕方のない事です。




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2020.12.22
3年後の2回目の訪問にて、ギョっとしました。
ドアノブがノコで切り取られて、しかも開いています。何事でしょうか!?

実はこの家、2000年代の何時か、事故物件になってしまいまして、おそらくその関係で
このような事になっているのではと思います。




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かつての叔父さんの敷地は売られて、画面左に新しい三階建ての家が建っています。
ブロック塀はそのままです。








[自分・身内用 親族家屋記録]
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1号宅 S家(叔父さん宅) 完成1962年(入居) 2代目1977年 2016年頃解体
2号宅 S家(本宅) 完成1964年推定 井荻から引越入居1972年 建て替え1990年 現役
3号宅 I家(I夫妻) 初代完成1962年、二代目1970年代 1978年に引越し入居 数年前解体

隣家T宅 1963年推定 2000年代(?)、事故物件となる。




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昭和36年6月 分譲前。




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昭和36年8月 分譲用地、開拓中




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昭和36年11月 分譲地、区割り。




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昭和37年9月 第一期建築完成(親族1号宅の完成)
白く反射しているところのみ完成。




19640516kf-gmtext
昭和39年 売り出された土地の大半が完成している。




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昭和49年 開発から12年後ほど。
まだ建て替えるほどの年度ではないが、2階建てにする家も散見できる。




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白くなっているところが昭和37年完成の建物。





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