ここ数日、またスランプに陥り記事のアイデアが出ずにいました。
基本的にここでは、まったりじっくりやっていくつもりなのですが、
先週は暴走して連続して記事を書き、没頭しすぎたため疲れが出たのだと思います。
件のアクセスも、いつも通りの20程度に落ち着いています。





さて今回、まだまだ懲りずに「まるひろ東松山店」の変遷の続報をお送りします。
先日、読者様からのメールにて数々の情報を下さいましたので、それらを反映して
記事にしていきます。また前回までに掲載した再掲もありますがご了承下さい。




[過去の関連記事]

まるひろ百貨店建設と聖ルカ幼稚園の移転 1970年
2022-07-16 19:40:23
https://oldtaste.livedoor.blog/archives/15685791.html

まるひろ東松山店の移転の経緯 続編
2022-07-23 12:00:00
https://oldtaste.livedoor.blog/archives/15775958.html

まるひろ東松山店の移転の変遷 資料による不可解と「移動販売車」とは?(続編2)
2022-08-07 02:25:20
https://oldtaste.livedoor.blog/archives/16016672.html




1970maruhiro_20220802_220017
1970年(昭和45年)
旧聖ルカ幼稚園跡地に「まるひろ東松山店」を建設。
1970年の住宅地図では、まるひろビル(地図記載は東松山ビル)の北側に
三軒の民家が記載されています。しかし、今回この事に大きな疑惑が浮上しました。
率直に申しますと

「提示した東松山ビルという状態の物は存在しなかった」

「北側の民家3軒は昭和45年にはすでに無くなっていた」

一応、疑っていたこの二大案件が明確に浮かび上がった、かもしれません。


1970年 自作地図より。上記水色の部分はまるひろ初期の敷地。
前回までにこの状態は昭和46年から47年の間に北側追加建築が完了したであろう
推理を申し上げました。

それ以前の昭和45年、
聖ルカ幼稚園の部分になっている枠の処にまるひろビル(東松山ビル)なるものが、
昭和45年の「ゼンリンの住宅地図1970」に明確に記載されています。
著作権の関係で映せませんが、これには(建)や(建築中)の記載はありません。

そして東松山ビルと称するまるひろ北側に、三軒の民家が在るという記載です。
今回、これを覆すかもしれない写真が発見できました。




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昭和45年、「東松山ビル」。
時間かけて作ったコレはいったい何だったのだろうか…

しかしせっかく作ったのでまだ使い回しをします。


とりあえず、確実に言わなければいけない事。

「住宅地図も間違いが多い」




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そして国土地理院1970年。これをどう説明するのかという事になります。
無論、前回提示したように

「1970年3月撮影と書いてあるが、それも間違いで、実は1969年末かもしれない」

写っているものに嘘はないが、記述を間違えているかも、と。
何をどう信用すればというジレンマです。




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これはいつもの1974年。ここから読み取れる昭和45年頃のものは多くありません。
しかし屋上の汚れ具合は全面同じ程度に見えます。




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現在のまるひろ通り。
2000年代前半までこの道幅は歩道を含め半分程度であり、
まるひろ側の一車線ほどまで旧民家が建ち並んでいました。




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埼玉県信用金庫。70年代は小川信用金庫です。
その前、戦前から「玉の湯」という銭湯がここにありました。




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精悍なストライプ姿の建物の位置は、かつての「野口スポーツ店」跡です。
その手前は「小松屋糀店」跡です。

古くからあった店舗たちは全て変わってしまいました。




maruhiro1974
これも前出と同じ年の1974年ですが、西角度が付いています。
先程の画面より、正面の様子がなんとか写っています。これはかなり参考になる角度です。

道路拡張前、ビルの道路側にオレンジの屋根。
これが一階部分のテナントが入っていたエリアとなります。

今回の本題は、
この画面からも伺えるとおり「東松山ビルの謎と本当の事は?」の推理です。

何度も言うように住宅地図にも間違いが結構あります。
これの誤りを正す、または再考することが今回のテーマとなります。





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これは昭和47年の様子。屋上の遊具等が伺えます。
サイギンの東隣に「ムラヤマオーディオ」の店舗姿も見えます。




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現在のまるひろ東松山店。
歩道と登り車線まで、まるひろのエントランス部分であったと当時を想像します。




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道路拡張されても、ギリギリに建物が保たれているのは、あらかじめエントランス部を
広く取ってあったからです。これで解体か減築は免れましたが、1970年代にこのような
道路拡張は無論想定はしていません。




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「マクドナルド まるひろ東松山店」

エントランス部が有った頃は、ゆったりとしていたはずです。
何年から何年まではまだ調べていませんが、マクドナルドがあったとのことで、
有りものの画像からやっつけで合成してみます。


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〔筆者からの質問〕
まるひろ入口に「マクドナルド」があったのはすごく気になります。
道路拡張面積を見ると確かに一軒建てられる程の広さが有りますが入口の
どの辺だったのでしょうか?

〔読者様からの回答〕
マクドナルドは正面入口の向かって右側
セイボ―スポーツ側にありました。

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左か右かどちらだろうという想像を張り巡らせていました。
結果は右側。店舗姿はどのようなものだったのかまでは判りませんが、
マクドナルドですので何処も大差ないと思います。




50_20220827161043pictext
看板棟の位置に「岡野手袋」(戦前 岡野軍手)想像図。
1969年まではおそらくまだ健在だったと思われます。

しかし住宅地図にて、この列の民家を1970年のビル完成時でも、まだ健在の状態で
記載してありました。それらの事からこの位置はまだ増改築されていないか、
工事中の状態であるとの一応の決着を着けた「はず」です。

住宅地図、その記載の謎(というよりズバリ間違い)は、まるひろ東側(駐車場の位置)の
民家二軒、その他に関しても同様な事実違いがあることは前記事にて指摘しています。
地図も人間が作っているので間違っても当たり前ではあります。




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1970年(または1969年)までの配置。
岡野手袋と「フレンズ稲村家」の位置とかつてあったカーブ道の遺構。
この稲村家は以前は個人名であったものの、1980年代から「コスメ&エステ フレンズ」
の店舗を展開していていました。(後述あり)




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まるひろ看板棟位置。岡野手袋店舗跡と道の跡。





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〔読者様からのメール抜粋〕

まるひろといえば以前は歌手の新曲キャンペーンや
ヒーローショーをよく実施していました。
快傑ズバットショーで宮内洋本人が来店したのですが、
旅行と重なり、見に行けなかった事を今も後悔しています。

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話題は逸れますが筆者の好物の特撮話題です。
まるひろにて、1977年に宮内洋本人が出演する「快傑ズバットショー」が
行われたという新事実です。これは何処からも聞いていません。
この東松山に、「早川健」本人が舞台に登場したというのは驚きを隠せません。
ロケ先でショーも行うというのはよくある話ですので、百穴や吉見の崖などで
撮影をしていたかもしれません。(全話見直さないとなんとも…)

筆者も東映大泉撮影所でズバットショーが有ったのは知っていますが、
それを見に行けず今でも残念に思っております。

どなたか当時の写真を持っていないものでしょうか…
この手の写真は持ち主が写っていたりして見せてもらえる機会はほとんどありません。




逸れたついでにレトロ話題です。
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唐突ですが1970年代のアニメ特撮のシングルレコードです。

70年代からずっと集めておりまして此処に写るのはごく一部です。
この頃で一番好きな作品は「電人ザボーガー」です。初めて買ったレコードでもあります。
(当時買った現物と中古で買い足した2枚重なり)

ウチは他所様よりも色々と導入が遅く、安価なレコードプレイヤーすら買ってもらえず、
同級生が「帰ってきたウルトラマン」のレコードの話をしていても我が家だけレコードが
無かったので負い目を常に感じていました。1974年にようやく親父がステレオを購入し、
そこから集めるようになりました。




・・・私事ですみません。
しかし、今後はちょっと集めているモノなども紹介していきたいと思っております。







というわけで
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まるひろ東松山店 特別企画「快傑ズバットショー」の垂れ幕想像図。
こんな大々的なものは出していなかったとは思いますが、高度成長の70年代ですので、
あながち間違ってはいないと信じます。


こんなことにまた時間とって、まったく…(呆れられ)


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画面。



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〔読者様からのメールより〕

ズバットショーは私が中一の時なので1977年8月と思います。

スーパーカーブームの時は店頭に
ランボルギーニカウンタックが横付けされて
運転席に数分座るのが有料でした。

特撮ブームの時はヒーローショーが盛んで
レインボーマンショーはトラブルがあって
格闘中に頭のターバンが外れて死ね死ね団が
慌てて隠していたのを今でも覚えています。
アトラクション用はヘルメットの上にターバンを
巻いた構造だったのでしょう。
この時は拡張前の屋上でした。

まるひろのヒーローショーはマジレンジャー以降はなくなり
新曲キャンペーンは山野楽器が撤退して以来
なくなりました。

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この情報量に圧倒されました。こういう話は現場を体現した人でこそ輝きます。
レインボーマンのショーはぜひ見たかった!アトラク用のターバン…被ってみたい

筆者が見たヒーローショーは後楽園ゆうえんちでの仮面ライダーが最初だと思います。
もしかすると昭和41年頃には何か見ていたかも知れませんが、写真が残ってないので
判りません。

あの頃の着ぐるみは出来不出来が激しかったですが、基本的にヒーローに関しては
テレビで使われる物と同じ型から作られます。怪獣は簡素にしているものが多く、
80年代になるとヒーローも簡素粗悪になっていきます。




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参考画像:1972年、アニメ版月光仮面、変身忍者嵐などのイベント様子。
嵐はテレビでは1話にしか登場しなかった脚の鱗が細かく造られている物に見える。




時代が新しくなってから質が悪くなるというのもなんと皮肉なものでしょうか。
1990年代からはもうそのような事はなくなり、撮影用とのクオリティーにもひけを
とらない丁寧な造りになっています。
(この辺の話またくどくなるのでこの辺で…)








本題に戻ります。
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郵便局跡地。拡張前はゼブラゾーンまで敷地になっていました。




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前述での稲村家のフレンズ。道路拡張後はこの建物の位置に移りましたが、
住宅地図では2019年に消えています。
現在の「岡村屋」は、一時期稲村家と併記されていた方が経営しているようです。




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対面側「中原印房」。




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「岡村屋」。この建物の位置は旧「東松山郵便局」がまさに建っていた処です。




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西面。
オレンジの建物は「イシイ時計」跡、中原印房から黒い建物辺りまでが「玉の湯」跡。
1970年代まで。何もかも変わってしまった…





と書いていましたが、大きく間違えてしました。
読者様からの指摘で以下画像の通り、路地が一つズレてしまっていました。
img062
詳細、大変に有難いです。黒いビルについてはまったくのノーチェックでした。

元菓子店の名称、住宅地図1970を確認しましたら「カトウ菓子店」と記載があります。
現在の「中原印房」の処は「河野屋」、その隣は「ヤマグチ洋品店」とあります。




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玉の湯は信用金庫の処。
それは前の記事の時に書いていたのに、すっかりさっぱり忘れていました。




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まるひろ東松山店 北側。
カーブを沿っているのがかつての道跡。




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1974年のまるひろ断片。




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昭和45年 まるひろ近辺。
説明にある「建設中の」は誤り。昭和30年代には完成して稼働しております。
そんなこともあり、この「昭和45年」との記載にも疑いが出てきます。


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〔読者様のメール抜粋〕

いき出版 写真アルバム東松山・比企の昭和に
拡張前のまるひろの写真があります。
ブログの東松山ビルに近い形状の様に思います。

武蔵野銀行の左側にある工場風の建物(カラー化で青くなっている処)は
現在もある大丸縫製で、その間の民家が道路拡張で退かされたことになります。

この道路拡張で
まるひろの入口にあったマクドナルドがなくなり、
多くの個人商店が廃業しました。
道路は拡がりましたが商店街は廃れることになり、
まったく無意味な事だったと思います。

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とても辛辣な一文です。これ以上の表現はありません。
衰退の末路は高坂でもまったく同じです。

1970年はもとより、ここら辺一帯は2004年まで建物が並んでいました。
この写真で見ると、戦前由来の家屋が多く伺えます。

そしてここ一列は、2006年までに全ての建物が解体されてしまいました。




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今回の最大の案件。

1970年(とされる)、同じ写真のまるひろ拡大です。
ここに写る、まるひろの姿で、今まで推理してきた事柄のほとんどを覆してしまいます。

よく見てくださいね。この建物、東側こそまだありませんが、すでに今と同じ形です!

これが1970年の年末という好意的取り方をします。少なくとも1月~4月ではありません。
前回記事の読者様の新園舎移転事情、国土地理院1970年画面からもビルはありません。

しかし1970年に完成したこのビルは「東松山ビル」というものではなく、間違いなくまるひろ。
そしてこの時には、先ほど紹介した岡野手袋からの北側民家三軒の存在は既に無いといういう
明確な答えです。


などと書いてはおりますが、この「1970年(昭和45)」という記載が「絶対に間違いないか?」
という保証ももちろんありません。

とりあえずは一応、この写真を昭和45年と捉えます。




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右西赤が1970年、左東青が1975年に完成。




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しかし、まだ抵抗。(また時間かけて…)

仮に「東松山ビル」があったとして、前回の想定として挙げたこと、北側がこのように
工事中であった可能性も捨てていません。すべての帳尻を合わすという前提の想定として



1970年4月後半より、聖ルカ幼稚園を解体しビルの建設を開始。名称「東松山ビル」(仮)
1970年5月頃は、まだ立ち退きの問題が解決していないと予想。
1970年8月頃には北側の無いイメージ画の建物がほぼ出来、この時点で北3軒立ち退き解体。
1970年11月頃までに、現在のまるひろ東松山店を完成。



ちょっと強引ですが、こんな推測もできます。
高坂の頃、立ち退く立ち退かないの問題で揉めていたのは幾つも見てきました。
それらの長短は別として、いきなり3軒の立ち退きを迫るというのは殺生です。
そもそも、なぜ立ち退かなければならなかったのかの理由はわかりません。

解体しなければ、イメージ画の通り「正統派の四角いビル」のままで現在もあるはずです。
看板「塔」からわざわざカーブを付けた幾何学的建設の意味は何処にあるのでしょうか?
こればかりは当時の地主レベルで聞かないと解りません。



  IMG_20220912_181123
謎多き建物

と、ふと冷静に考えてみましたが、この時点ではまだ郵便局の扇形敷地を取得していません。
ですから、カーブの道にギリギリに建てたというつまらない答えです。
しかしそれでは何の面白みもない(といっても創作では話にならない)ので
もっと細かなギミックのある真実を期待します。




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完成当初、看板塔は現在丸広マークの面が「まるひろ」、正面側がマークです。




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西方向。




50_20220827161910
「進入禁止」の看板の位置が、かつての道跡。




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材木町一番街方向。ここの道に繋がっていました。
それにしても予想したよりもはるかに狭い。世田谷区かと思うほど。




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路地を入って、まるひろを望む。右側水色位置は戦前記載に「原留運送店」があります。




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セキグチ洋品店の裏側の駐車場に、不明の祀りものが。
しかし中に石像等は無し。果たしてどうなったのだろうか…




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これがかつての「まるひろ東松山店(材木町商店街店)」跡(厳密には名称不明の履物店跡)
敷地が融合しているので判りにくい。




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履物店跡地。
この角に戦前店舗が1970年(住宅地図表記 アキヤ)まで建っていましたが、詳細不明。
先生の書にも記載ありません。

正面に見える建物も詳細不明。戦前記載無し。
1970年住宅地図では「富士」とありますが、なんのお店かわかりません。




50_20220827162522
まるひろからの路地を出て一番街通り。
駐車場の位置は戦前「静岡屋アイス店」とあります。昭和30年代の写真で確認すると
2階建て戦前型でした。

右はかねてから話題の「懐かし写真展」建物。今でも此処に来ると釘付けとなります。
1970年まで「まるひろ東松山店(旧)」が在り、そのあと角にあった履き物屋を解体して
敷地を合体、「田端家具センター」になります。




50_20220827162445
懐かしの東松山写真の数々。劣化したら替えているようです。
前記事で、読者様が以前はこれらを購入出来たと仰られていました。
ここのお店が現在は何なのかを聞いていません。じっくり見ているとき、
忙しそうに出入りしていますが、なかなか聞く勇気が出なくて…




50_20220827162557
これの元が、昭和33年の「丸広百貨店」だとは誰が気づくでしょうか。
通路の側が履物店があった処で、おそらく扉の半分辺りまで間口だと思われます。
間口は狭く、僅かに伺える資料では蔵づくりでした。

この蔵づくり店舗と駐車場にあった木造のことを、次の機会に先生に聞きたいと思います。




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セキグチ洋品店。学校指定の品を納品しております。




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戦前記載「静岡屋アイス店」跡地。解体年度不明。












この日の材木町界隈は別記事に託し、まるひろ東側に移動します。
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聖ルカ幼稚園と聖ルカ教会の跡地。
2017年頃には無くなっていました。




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東方向、駅通り。
「中屋鋸店」と「柳沢不動産」素晴らしい雰囲気!




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聖ルカ幼稚園 跡地。1970年完成、2017年ころ解体。読者様の古き良き思い出の地。
戦前は「材木町協同製材所」。これだけ広くなっていた処はこの辺りには他に無く、
昭和30年代の祭りと人だかりの景色はここで撮られたのではと推測します。

公式写真に説明が載っていないのであくまでも憶測です。




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戦前から戦後の記載「清野家」。





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三階建ては「村田タンス」、1970年「東松山不動産」。店舗は1990年代まで確認。




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1970年記載、左の車位置が「福島畳店」、右の駐車場が「旅館亀山屋」。




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手前が「旅館亀山屋」跡地、まるひろ出入口辺りから建物奥が「鈴木医院」跡地。
立体駐車場が「杉浦荘」。




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先の一軒家、戦前は「棒屋」とあります。
先生の歴史書の記述で「棒屋」というものが度々出てきますが、調べてみると
棒で出来たものという曖昧な感じで出ます。棒で出来た長物ならなんでもありとの記述。
棒に細工してくれる職人?そんな感じです。
普通にホウキやハタキから高枝切りバサミのようなものも含まれると思われます。




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古典建築、戦前は「松崎自転車」。車のところから道路が「福島畳店」跡。





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先に見えるのは「新和モータース」。

三階建て住宅は「サニーライフ東松山」で、昭和48年、初代マミーマートができます。
戦前記載は無し。
戦後(1970年地図)に「中央アパート」記載あり。サニーライフの位置には戦前から
長い細い建物が二軒ほど見え、昭和30年代初期頃に建て替えられているようです。




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福島畳店は、この位置に縦に建っていました。




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福島畳店跡地と通り側「関家」跡地。




50_20220827164754
詳細不明。推定昭和20年代築。





ちょっとこの辺りで難癖が付いたので(私事)、今回はここまで。
これで一応完結としますが、まだ周囲の研究が残っています。

それにしても、本当に、たかが1970年代程度でこんなに苦労するとは考えても
いませんでした。こればかりは街の記録をしっかり行って無かったがゆえの問題です。
歴史の可視化の道のりは果てしなき旅となり…






情報提供:東松山市在住57歳男様

引用メール「拡張前のまるひろ」
2022年9月11日 13:07ほか










記事管理ナンバー[20220912fl-2050 / 0914_2015,2325ok]

220913火 00台 コメントにて指摘があった文面を削除。
220914水 21:00 まるひろ通りの店舗説明のズレ等を訂正。23:25完了。