取り急ぎ、新事実解明の片鱗。


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昭和40年代の本町四つ角、まるひろ東松山店のその後について、
新たな事実が浮かび上がってきましたので報告いたします。

これは、ゼンリン東松山市1975年の枠外広告。
「丸竹百貨店」との広告。「丸広」ではなく「丸竹」。

丸竹百貨店という店舗の存在は、間違いなくあったとの事から話を過去に戻します。
以前の記事にて記載の事。

実は「ゼンリンの住宅地図 東松山市1970年」これの、まるひろ東松山店本町初代位置。
ここに「丸竹百貨店」なる記載があったのですが、これは「まるひろ百貨店」の記載ミス
であるとの見解を表記しました。

しかし、確かに丸竹百貨店は存在していました。
これもまた当方の事実誤認による早合点であることとなります。
まずはこれを訂正し、お詫び申し上げます。

端的に申しますと「1970年(昭和45)に、本町まるひろは既に無かった」ということになります。
まこともって、情報の追跡不足、裏取り不足を反省する次第であります。



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まるひろ東松山店の本町の記載を丸竹百貨店に直します。

こちらについて読者様からも1970年代当時に、初代まるひろ建物の存在を確認していた
ものの、既にそこは空き店舗との報告を下さりました。

そこで記載を「まるひろ百貨店」の間違いであるとしました。
しかし丸竹百貨店は確かに存在しています。前述の画像の記載では「材木町」とあり、
既にこの本町からは移転していると捉えます。

そして1975年のこの位置は今と同じように「駐車場」となっています。
ちなみに国土地理院1974年の画面の時点では建物の存在がありますので、
そのすぐあとに解体されたものとします。

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本町四つ角 昭和49年



つまり、「丸竹百貨店」となるものが存在し、それは1970年時点にてゼンリン地図の
かつての本町まるひろ位置の記載ミスはなく、まるひろが本町から何年かに撤退して、
のち何年かに、この店舗には丸竹百貨店が入居という結論に至ります。



さて、説明するまでもありませんが、誤認に至る流れは

まるひろ=丸広百貨店→丸竹百貨店 = 誤記

この事によって起きています。しかも「まるたけ」「丸武」(スーパーまるたけ)の
存在もありましたので、それも誤認の原因に加算されています。


とりあえず分かっているまでの内容で、急務まとめです。


1954年(昭和29年) 本町(四つ角)に「丸広百貨店 東松山店」を開店。
1958年(昭和33年) 材木町一番街に「丸広百貨店 東松山材木町店」開店。
1960年代(昭和30年代)の何年かに、まるひろ本町四つ角を撤退。
1960年代(昭和30年代から40年代の何年か)、まるひろ跡に「丸竹百貨店」が開店。
1970年(昭和45年) 現在地のまるひろ東松山店を開店(東松山ビル名義)。
1970年(昭和45年)頃、新店舗開店により材木町一番街を撤退。
1970年代前半 丸竹百貨店、昭和50年までに材木町へ移転。
1970年代中期 空店舗を確認。
1975年(昭和50年) 本町四つ角、ゼンリン地図にての記載では駐車場。
1975年、1976年、1980年 各年国土地理院の画面にて、本町まるひろの建物は
まだ見えている。解体はせずに建物を駐車場にした可能性。








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